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すごく嫌なことされることってありますよね人から。
全然反省しない、謝罪もない時に周りからこんなことを言われたことがあると思います。
「許しましょう」すごく人ごとですよね。
それって当事者が思うことであって、周りが言うことじゃないですよね。
私もカウンセラーをやってますが、残念ながらそれで傷ついてこられる方っていらっしゃるんですよ。
あるカウンセラーやソーシャルワーカーに相談したら「相手のことも包み込みましょう」たあお。
それは他人のことだから言えますよね。
それは本当に心に寄り添っているっていう風に私は思いません。
なので今日はですね、皆さん人を苦しめる崇高理論についてお話したいと思います。
苦しみから離脱して欲しいですし、楽に生きれる生き方っていうのを見つけたことをお話させていただきますので、最後までご覧になっていただけますと嬉しいです。
早速ですが、簡単に全てを許せっていうカウンセラーやワーカーがすごく多い。
どこから許せっていう言葉が始まったのか分かりませんが、できたら素敵ですよね。
嫌なことされても包み込んで許せる気持ちを持っていたら、自分も苦しくないですよね確かにね。
でもそれって出来ないからみんな苦しんでカウンセラーに相談するんですよね。
できるんだったらカウンセラーは要らないと思います。
私たちは必要ない。
でもそれができないから、いかにその人がどうしたら進めるかっていうことを考える必要がありますよね。
冒頭にも言いましたけど、簡単に「許しましょう。相手のこと」っていう人は、本当に心に寄り添いてるとは思いません。
それは当事者だったらできないです。
他人ごとだからこそ言えることなんですね。
それよりもですね楽になる方法っていうのは、関わり方を変える方が楽だと思います。
神業レベルで、できたら楽なこととか素敵なことって確かにあるけど、それは理想なんですよね。
許さないことで幸せになったり、無になれることだってたくさんあるんですよね。
私はカウンセリングに来てくださった方が「許せない」って言ったら「何で許せないですか?どうしたら許せるようになりますか?」なんて絶対に言わないです。
許せないなら許せないでいいと思います。
ただその許せないっていう執着してしまう気持ちっていうのが、自分のことを苦しめることってありますよね。
ずっと人のことを恨んでたら、その時間楽しくないし手放すっていうことが大切ですよね。
人っていうのは段階があると思うんですよ。
傷つけられた出来事が起きた→苦しくて悲しくなった→そのままだと鬱とかパニック障害になってしまうんですよね。
自分を責めるし、苦しいと思うからその感情を怒りっていうものに変換して、許せないって思うのは私はまだ健全だと思います。
自分の心身を壊すよりは。
許せないってなって例えば、刺してしまったりとか傷付ける行為っていうのはよくないですよね。
自分にとっても相手にとっても。
でもそこで「あいつ許せないぐらい」って力に変えるっていうのは、すごく大事なことだと思うし、それを例えばね友人なりカウンセラーに「私あの人のことが許せない。あんな人、不幸になればいいと思ってる」って言ったときに「そんなこと言っちゃ駄目だよ」っていう人には言わない方がいいと思います。
「それぐらいあなたは苦しいですね。あなたはそんなにもつらいですね」って「いいですよ、どんどん言ってください」って言ってくれる人に言うことが大事です。
そういう人を見つけるのは大変かもしれない。
でもそれぐらい実際苦しいから言うんですよね。
言っちゃいけないとかね、そういうことを気にしなくていいと思います。
じゃあ、その苦しみってどこに吐き出すの?って話なんですよね。
人ってどうしても弱ってる人がかわいそうとか、弱ってる人だけが弱者だから助けてあげたいっていう人たちがいるんですけど、そんなことない。
むかつくって言ってる人だって立派なSOSなんですよね。
だからそれを受け止めてくれる人を見つけるっていうことも大事です。
その段階を経て、腹立つって怒りを人にぶつけることで自分の気持ちが穏やかになって前に進める人っていうのもたくさんいらっしゃいますからね。
その先程もお伝えしたんですけども、許すとか許さないっていうのは決して他人が決めることじゃないんですよね。
やれやられた本人が決めること。
やられた本人が許せないんだったら、それは許せない。
例えば謝られようが後悔されようが許せないことだってあると思う。
過去は変えられないから、傷が治らない時だってあると思う。
だから許せないって言えば、それは許せないでいいと思うんです。
許せるだったら、それはそれでいいですよね。
例えば謝罪だけでいいと、心から反省してなくてもやったことを「ごめん」って言ってくれさえすれば許せるって人もいらっしゃると思います。
それで許せるって言えば、それはそれでいいことですよね。
ご自身が決めることであって、崇高理論っていうのはどこまで行っても客観的なものなんですよ。
神のみわざみたいなものが崇高理論ですよね。
でも実際その崇高理論を話してる人はできるんですか?できてるんですか?って言うと、私はできてる人見たことないです。
人のことだからみんな言える。
自分のことになったら、みんなできてないです。
それよりも人に言ってる人ほど、自分のことになったら怒り狂ってたりして、「あなたが言ってること違うでしょ?」っていうことがあります。
人の心に寄り添うっていうのは、相手の感情をそのまま受け入れるっていうことですからね。
相手の気持ちになるっていうことですからね。
だから否定してくるカウンセラーには本当に気を付けてくださいね。
余計傷ついてしまいますから。
許す許さないだけで考えた時にですね、これは私の理論ですけれども、相手が反省して悔やんでいたとしたら許す余地もあると思うんですよ。
そこで許すか許さないかは別ですよでも。
ただ余地はある。その人の未来を信じてあげるとかっていうことはできるけど、反省もしてない、そんな人を許す必要はないと思います。
つい先日ですね、うちの娘は中学生なんですがひどい担任教師にモラハラをずっとされてたんですよ。
ダメな人間だって言われたりとか。
登校拒否になってしまったんですね。
その時に私は学校に行って管理職の人とかワーカーとかと話し合いました。
実際その担任の先生に「あなたがしたことによって、言動によってこんなことになりました」って言った時に、全然反省してくれなかった。
震えるぐらい怒りが止まりませんでしたね。
私は人に教える立場なのに、こんな人いるんだって思いました。
その方っていうのも年配でね定年の年齢の方なんですよ。
なのに「そう思わせたんだったら、その感じ方次第だから」って自分が言った言葉を認めない。
誰が聞いたって「あなたは駄目な人間だ」とかって言葉って良くないですよね。人格否定ですからね。
それを反省していれば、私も娘と話し合いできたんですよね。
許せそうとか思えたかもしれない。
娘は今も許せないって言って苦しんでますけども、私は早く忘れさせてあげたいなと思うんです。
それはクライアントさんや今苦しんでらっしゃる方にも、同じ気持ちで許せなくていいです。
ごめんなさいも、反省もしないような人を許せなんていうことは無理ですから。
私は娘と同じくしてされたことに苦しむ人の味方です。
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